幼少期は衣食住はもちろんの事、親の愛情やサポートは必須になってくると思います。
私の場合、衣食住は守られていましたが、それ以外をやって貰えず、色々と苦労した記憶があります。
その日々を書いていこうと思います。
小学生時代
①忘れ物
1年生の頃は忘れ物が多く、先生に怒られてばかりでした。
絵の具を忘れ、私だけ図工の授業が受けれずに泣いた日もありました。
今の時代のように、学校の予備の絵の具を貸してくれたり、友達に貸してもらったりという事はありませんでした。今だったら親からクレーム来そうですね。忘れたのが悪いんだけど。笑
もちろん子供自身で用意しようとする気持ちは大事ですが、低学年のうちは親のサポートは必須のように思います。あくまで、私の感覚としてですが・・。専業主婦で家にいながら、なぜ一緒にやってくれなかったのか疑問です。
そういったトラウマがあるお陰で、大人になった現在も忘れ物がないか細かくチェックする癖がつきましたが、私だけ授業が受けられなかったことも辛い記憶として残っています。
②夏休み
自由研究や作品作りも、全くサポートしてもらえませんでした。
休み明けには、貯金箱など、教室の後ろに並べられます。かわいらしい作品が並ぶなか、材料の用意もしてくれなかった私の作品がみすぼらしく見え、早く撤去してほしかったです。
作文なども、助言をしてもらう事がなかった為、非常に苦労した記憶があります。親になった今なら判断できます。作文を小1から自身のみで書き上げるのは無理です。
ですが、周りの友達が親のサポートを受けていると知らない私は、作品も作文も私だけ完成度が低いことに非常に落ち込みました。わたしってダメなんだぁ、と心の中で思い、この頃から自己肯定感低かったです。
③交際費
当時はお小遣いがなかったが(これには不満はありませんでした。今のように誘惑で溢れていなかったので。笑)、たまに友達と遊ぶ時の駄菓子代や、友達の誕生日プレゼント代なども全く出してくれませんでした。誕生日プレゼントは複数人から貰っていた為、お返ししないとという気持ちはありました。母よ、我が子が貰ったのは把握しているはずなのに、どうしてお返ししようと思わなかったのか・・。幸い優しい友達が多く、お返ししなかったからといって何か言われたりなどありませんでした。
バレンタインを友達と交換する時も、一緒に買いに行こう!とはなりませんでした・・。
駄菓子も一人だけ買えなくて、みんながブタメン食べているの羨ましく見ていました。
とにかく子供にかかる出費を抑えていたので、この時から既に「惨め」という感情がありました。
④人間関係
小学校も中学年頃になると、女子特有のトラブルが始まります。
悪口・からかわれたり、陰で笑われたりといった事は、成長において必要なのかもしれないと大人になった今では思います。問題はその後、はっきり意見して解決できるか、スルーするか、気持ちに折り合いをつけられるようにできる事が大切ですよね。
言ってしまった側も、後々思う所があるでしょう。
私は性格上、完全にからかわれる側・悪口言われる側です。言い返せるタイプでもないため当時はひどく落ち込みました。困った私は母親に相談します。仲の良い友達がいても所詮同い年ですからね。悩みは解決しません。人生の先輩・女の先輩である母に意見を仰ぐのは当たり前でしょう。
ですが、母の返しは決まって「そっか、困ったねぇ」(以上)のみだった。※本当にこれだけです
共感でも激励もアドバイスにも当てはまらない言葉です。事実上のスルーだと思います。
めげずに何度も相談した時もありましたが、上記の繰り返しでした。だんだん相談するうちにイライラするようになってしまい、相談するのをやめてしまいました。解決策を見出したくて相談しているのに、スルーされるのは子供にとっては余計にストレスです。なにを言っても分かってもらえないんだを悟りました。
このやりとりを繰り返すうちに私の脳内ではこのような思考になっていました。
お母さんに相談をしても、解決しない。
人に悩みを相談しても解決しないんだ。
この思考が人生を拗らせることになりました。これで、お金もかからない・うだうだ悩みを打ち明けてこない、手のかからない娘(私)が完成します。家に帰ったら一人で静か遊ぶか、お小遣いも渡さず遊びに行きます。内側ではストレス溜め抱えていますが。母はさぞかし楽だったのではないかと思います。
コメント